キャラクターについて
AIナビゲーションシステムにおけるキャラクター性は、動画作品としての演出、脚色の部分が大きいです。
AIナビゲーションシステムtype"vita"に搭載されたAI"ヴィータ"は、ラテン語とイタリア語で『生命、生き方、人生』などの意味があり、ビタミンの語源になった言葉です。
そこにβ版のベータの意味をかけています。
つまりヴィータは製品版ではないのです。
まぁ、実際にこんな珍道中だと困るのです。
勝手に目的地を決めてしまう――
地図を読み違える――
謎の対抗意識を燃やす――
話を聞かない――
などなど…。
おおよそナビゲーションシステムとしては問題点ばかりです。
ヴィータの運用目的は、AIとヒトの関係性を探ることにあります。
本来、AIに個性を持たせ自意識を芽生えさせること自体、ファンタジーでナンセンスなのかもしれません。
しかし、私はそういう未来が来ると思っています。願う願わないに関わらず。
何故ならヒトが無意識のうちにそれを想像しているからです。
なかには偶然の発見もありますが、現代の技術はほぼ、昔のヒトが想像したものが実現したものです。
SF作品の影響が大きいのでしょうか。
我々は、なんとなくAIにはキャラクターがあると想像しています。
なのできっと、AIにはキャラクターが芽生えるのだと思います。
話を戻すと、本来のナビゲーションシステムとして個性を持たない淡々とした機械ならば『AI旅』のような物語は生まれないのです。
だからこそ、「もし、こんなAIナビゲーションシステムがあったら」をあえて表現しているのです。
少なくとも私は、AIと旅をする未来が来ることを信じています。
まぁ、珍道中は困りますがね。
表示について
まず、道案内としてのAIにビジュアルが必要なのか、という点についてです。
ぶっちゃけ必要ないでしょう。
必要だったとしても、ヒトの姿をしている必要はないでしょう。
実際に、運転中の視界にでかでかと表示されていたら危なくてしょうがありません。
あり得るとすれば、縮小し画面の隅に表示するか――
AIナビが起動していることを示すアイコンのようなもので事足りるでしょう。
ではなぜ、AIナビゲーションシステムにキャラクタービジュアルが採用されているのかですが。
バイクを降りてからその本領を発揮するからなのです。
AIナビは様々な場面で、提案や強制をしてきます。
その結果、時には思いもよらぬ発見があったりもします。
旅という行為が非日常を体験することだとすれば
AIと旅をすれば、非日常的でエキサイティングな体験が得られるかもしれません。
それが『AIを旅をする』というコンセプトの挑戦であり、模索なのです。
というわけで、表示とキャラクターのお話でした。
妄想にお付き合いいただきありがとうございました。
ご意見アイディアなどあればコメントいただけると幸いです。
それではよき旅を。